富野小学校と中学校の存続を!
いくつかの自治会の年次総会にお邪魔して廃校の危機を訴えてきました。とはいえ、教育者としてのキャリアが豊富で、小学校長経験者でもある長瀬議員の教育的観点と学校制度の説明を尊重して私は毎回2、3分しか話してきませんでした。
ただ制度面、教育観も大事ですが、別の面でのリスクも多々あるのではないか。
このひと月の活動を通して感じてきた、昨年度市内の不登校(30日以上)児童・生徒が301人という公教育の欠陥を解決できないうちに富野の素朴でシャイな児童・生徒を、伝統も風土も全く異なる旭ヶ丘の小・中学校へ通わせることの重大なリスクを抱える方針(案)の危うさをもっと地域の方々に分かって欲しいと思うのです。
昨年5月の諮問以来、毎回およそ2時~3時間の会議を5回きりで年明けの1月15日に出された答申ですが、70年の歴史のある富野小学校を廃校にしてまで旭ヶ丘に投げ込む答申をそう簡単に出すことができるのか。もともと倉知地区の南ヶ丘小学校を倉知小学校に戻すのとはわけが違うのです。
さらに今後の富野地区の発展のポテンシャルを探って拡大していこうという思いの地域委員会、自治連富野支部のやる気をそぐ案であることも明らかです。
昨日取り敢えず300枚印刷して、今朝は5時に自転車で出発して全戸配布に挑みましたが、145枚配ったところで雨が降り出したので大慌てで帰宅したら7時45分でした。午後にも出かけたいと空模様を眺め続けましたが、結局雨は上がりませんでした。
上日立橋の上流で両岸の薮を取り払って川幅が広げられています。
ここは大野用水の取水堰のバックウオーターの最上流部です。中央の山の上に立つ鉄塔より奥は旧武儀町です。
橋の下流側では左岸が改修され、現在右岸の改修に向けて竹薮の伐採に取り掛かろうとしているように見受けられました。
坊地から眺めた県道関・金山線に覆いかぶさるように見える孟宗竹の竹薮です。イノシシにとっては、近くに人家のないタケノコ掘りの聖地でしょう!
朝10時から今月8日の臨時市議会に向けて議会運営委員会が開かれたので傍聴に出かけました。新米議員も2年目です、1年目とは違う、少し成長した議員として働きたいです。そういえば市役所で偶然出あった方に『パブリックコメント、出してくれた?』と聞くと、『もちろん出しましたよ!』との返事。富野の自然の中で子育てしていることを喜んでいるご夫婦です。
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市役所で2件用事を済ませてから吉田沖の田んぼを東西に貫く道路を走っていくと、頻繁に衝突事故のある十字路交差点で事故処理が行われていました。
見晴らしの良い交差点はもう一方の道路を走ってくる車両を認識しにくいので危ないのです。小型トラックとミニバンかな、どちらも白くて目立つのに「見えない」のです。
怪我がなければよいと思いながら、手前の、もっと事故が頻繁な交差点でそれました。