議会だより-すぱっと
恵子さんが名古屋へ仕事に出かけています。
ひとりで夕ご飯を食べてちょっと横になったら11時過ぎまで目が覚めず、もう少しで日付が変わるところでした。独り居の 食後の眠り 時知らず
関市議会の議会だより「すぱっと」の音訳が初めてでしたので、納得のいくまで、と録音を繰り返していたら緊張でくたびれたようです。下読みのあと、いわゆる「本番」を3回、私の担当は全体の6分の1ーたった22分のことですが、普段の読み慣れた広報せき「Seki gocoro」の何倍も緊張しました。今日の午前中でなんとか完了。
長尾一郎さんの新政クラブ代表質問、続く石原教雅、安達克也、長瀬敦久、足立将裕、栗山守、猿渡直樹各議員の一般質問を一字も間違わずに読むのは、普段顔を合わせる市民代表の大切な質問だと思うと余計緊張します。
わが班の他の先輩たちもさぞくたびれることでしょう。
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午後には関市文化会館 で句会です。
清水青風師匠と15人の会員が全参加で楽しい3時間余でした。
ただ私はちょっとくたびれていて何度か睡魔に襲われました。
夜の静寂 音未だなり 稲光 夜半に空を明るくする稲光、でも雷鳴は届きません
あぜ道に 鳥獣誘う 美女案山子 案山子にマネキンの首、ドキッとさせられる獣です
句友の評価の高かった句は弁慶俳句会の「師範代」、安藤さんの句です。
蓑虫や 賢者の静と 愚者の動
水澄みて 底を流るる 風の翳
8月で、戦争を詠んだ句もありました。
息絶えし 子を負う兄の 原爆忌
戦争を 知らぬ我等に 終戦日
原爆碑 核での抑止に 蝉しぐれ
母が視た 終末時計 銀河識る
終戦日 日本の土に 二歳逝く
最後の句は旧満州国から逃げ帰った、当時4歳のお姉さんだった作者が、逃避行に倒れた幼い弟の遺骨を郷土の土に返したという句です。『流れる星は生きている』を思い出させる体験談を聞かせていただきました。
ばかげた侵略戦争で死ななければならなかった日本国民300万人、大日本帝国軍に殺された3000万余のアジアの民衆の無念を思います。