関市議会議員 川合治義つれづれのブログpart3

毎日更新中!地域の身近な議員として市民の思いと声なき声を市政に直言。活動報告、日常生活等を記します。TIKTOK等のSNSでも情報発信。関市学校規模適正化計画(案)にも言及。富野小・中学校の消滅危機に地域最大の課題として取組みます。

戦没者追悼式

敗戦から79年

 国策を誤りアジア諸国を支配しようとした軍国主義の先兵として異国の地に倒れ、太平洋などに沈んだ岐阜県出身の若者は6万人程らしい。弾に当たって亡くなった兵士より食料や医薬品などの補給がないためにむざむざ死なざるを得なかった兵士の方がずっと多いそうです。父の兄のように艦を捨てれば助かるものを『天皇陛下からお預かりした艦を離れては申し訳ない。』と沈んだ若者も数知れません。(参照:重巡洋艦 鈴谷)

 私も含めてほとんどの来賓が79歳に達していない中、おそらく10歳未満のときに父の戦死を聞かされた方々からまだ胎内にあるときに父を亡くしたご遺族の参列者の歩みはややおぼつかなく感じました。

 このような式典が新たな遺族であふれることのないよう、戦争を放棄した日本国憲法第9条は断固守らないといけないとの思いを新たにします。

学習塾をやっていたころに加盟していた岐阜県私塾連盟で知り合った日本画家木村友彦さんが日展日本画部門で特選を受賞されました。学習塾というよりは絵画塾を主とした塾を主宰しておられました。ある時半年ほど欠席されたのは『世界一周の船旅を楽しむセレブ達に船上の暇つぶし?に絵画の指導をする。』アルバイトをしてきたから、というのでびっくりしたことを思い出しました。来年2月に名古屋に巡回して来たらぜひ見に行こうと思います。

岐阜新聞の記事から

 

獲れるものは捕った

三頭のイノシシに負けたか

 仕掛けても、ずいぶん工夫し直して仕掛けても掛からないイノシシがいます。

複数の人も見かけていますし、沼地の足跡からしてもかなりな巨体の「3頭」です。

ただし一頭の巨体イノシシが移動して同じように振舞っているのかも知れません。

 今朝7時過ぎに『今度こそは』と大いに期待して見に行った罠です。

踏み板に被せてあった土を見事に押しのけた上に、バネを収めた塩ビ管まですっかり掘り返してありました。けもの道をたどりながら、そこに埋められたステンレスの罠の臭いを嗅ぎ取って、さらに『こんなもんに掛かるかよ!』と言わんばかりに掘り出してしまう。それが数百m離れた地点で起こりますので「3頭」と踏んでいます。

 こいつらを捕らえないとまた子供を産んでしまい、知恵が継承されていきます。

今のところ私の知恵で獲れるものは獲りきった感じです。

しばらくイノシシは遊ばせて二ホンジカを狙います。

学校給食で子供たちに喜んでもらうのも地域貢献です。

9時半ころに市役所に行き恵子さんのクルマの登録用に住民票を取得。

議会事務局ですぱっとのゲラ刷りを受け取ってから、総合福祉会館で関音訳の会 しおんの月例会に参加しました。

音訳の製品の質向上のため、校正・熟語の特殊な読み方などを11時半まで学習しました。関市には200名ほどの視覚障がい者がいらっしゃるのに利用者が十数名なのが残念です。

その折話題になった岐阜市各務原市美濃加茂市の広報について実物をもらいに回ることを決意。まずは岐阜市へ走ったのですが、途中のそば屋で昼飯をいただきました。

 きのこ蕎麦を食べたのですが、食後亭主に『きのこは5種類ですか?』と尋ねたら『6種類です。』とか。負けた! それぞれのキノコの味が大変良かったです。

ボルボに乗ってやって来て隣の席に座ったお二人は即『鴨南蛮そば』と注文。

亭主が川岸で捕らえたカモだと聞いてわざわざ試しに来たお客でした。

岐阜市各務原市を回って犬山の成田さんの裏山に行って犬山城をパチリ。

岐阜駅前の高層ビルと伊吹山の稜線が見えました。

その後、可児市美濃加茂市でもそれぞれの広報を頂いてきました。

天は自ら助くる者を助く

議員活動報告ビラの反応

 先週の火曜日に新聞に折り込んだビラの反応を知りたくて富野はもちろん、武儀や上之保を走って見かけた人に話しかけています。

 たいていの人がガソリンスタンドの存続を強く願っていますが、自分ではどうにもならないことであると考えています。『何とかして欲しい。』と懇願されます。

 中には『農協(JA)がやらなあかんやらぁ!』という声がしばしば聞こえます。

 『あんたが(SSを)やってくれんか。』という人もいました!

 また、できないという前提で不利な要件を並べる人もいます。

 

6月議会で一般質問して津保谷のSSの存続はインフラ、ライフラインの維持なので行政が積極的に関与すべきだと訴えて議会報告のビラでも住民の関心を喚起してきました。

武儀の地域委員会がアンケートを契機にSS 存続に道を開いてくれることを願うばかりです。つまり地域がこぞって存続を望み、何らかの具体的な動きを始められれば行政を動かすことができるのです。

 God helps those who help themselves.

 日本のとは違いますが『神(天)は自ら助くる者を助く』という欧米のことわざを高校時代に習ったことを思い出します。冷酷な言い方ですが、行政は自助のないところに公助は施してくれない時代です。議員も世論の後押しがないと行政に働きかける説得力というか迫力のある主張が難しい。 

 先週の日曜日の共同作業でイノシシ除けの電気柵を張り巡らせたことでこの8日間は田んぼへ侵入したイノシシの足跡は見当たりません。その分山裾や道路わきでの横着が目立ちます。イノシシたちも急激な寒さでカロリーのある食い物が欲しいのでしょう。

罠を掛けずに継続的に米ぬかを撒いてきた地点で、これまでイノシシどもが見向きもしなかったコメヌカの山をすっかり嘗め尽くした2か所でククリ罠を仕掛けました。

踏み板の上に薄く土をかぶせ、ワイヤーは草の下を這わせて見えないようにします。

感づかれたら薄くかぶせた土が鼻づらで見事に取り除かれて踏み板が露見します。

1m程離れたところに切り倒された杉の丸太があります。

これにワイヤーを巻き付けて『掛かった』獲物が逃げられないようにします。

お米作りの神はイノシシ防除をする百姓の田んぼをお守りくださる、のです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4つの催し物をはしご

それぞれ一生懸命です

10時からサルなどの害獣を追い払うための大音響花火の安全な取り扱い方法についての講習会が、わかくさプラザの多目的ホールで150人の花火取り扱い免許取得者を集めて行われました。

エサを食わせないことが一番の獣害予防策なのです。

少し早め(11:30)に中座して、会長ご自身が拙宅まで招待状を届けて下さった「民謡の集い」に駆け付けましたが、踊りを拝見することができませんでした。

会長の大野富江さんは志津野にお住まいです。

司会の岩田伸子さんは関高校の同窓生、もっとも彼女は成績優秀な才媛でした。

会長から「米寿のお祝いの花束」を受けられたお二人の会員さん。

次はJAめぐみの本店前の中濃公設卸売市場の広場で催されていた「中濃農業祭」に行きました。この長蛇の列は「被災地で炊き出しの食料を受ける避難者の列」ではありません。

無料の「円空汁」の提供を待つ人たちでした。

バザーでは「まんじゅうたこ焼おこわフジガキ15個」を買ってきました。

1時過ぎに帰宅して恵子さんと、買ってきたたこ焼とおこわで昼ご飯を食べました。

腹ペコだったこともあり大変美味しく頂きました。

 

午後3時半からは山下清司関市長の「市政報告会」に参加しました。

地元市議として「謹厳実直な行政マンを脱皮して、大胆に面白いまちづくりをリードして下さる」政治家山下きよしを期待したい、などと勝手なことを申し上げましたよ。

圭子夫人を伴って来られ、質疑応答を含めておよそ1時間ほどの会となりました。

散会後、橋を徒歩で渡って来られた高齢のおじさんが『ええ橋を架けてもらって本当にありがたいわ。』と仰っていたのがうれしかったです。

この時期の温度でこのギャップ、夏の暑さは大丈夫かな?

田舎の夕方の「秋じまい」です。この煙は文化です。

順に義務、招待、買い出し、招待と4つの催し物に参加しました。

 

全ての催し物に参加するのは不可能ですが、時間さえあれば参加するのが市議会議員の務めかもしれません。なるべく顔を出して、参加者の皆さんと共感できるようにします。そのために地元藤谷の共同作業なども「ご無礼」することがあるかもしれません。

 

 

旧鮎登里橋の撤去

60年のお勤めご苦労様

 富野ふれあいセンター前に新しい鮎登里橋が架かったので、従来の橋は取り壊されてしまいます。最近工事が始まりました。下流の青い新橋はいつまでもつのでしょう。

橋脚の足元に土嚢が積み上げられています。

橋脚の周りには多くの甌穴(おうけつ)があります。

甌穴というのは岩の上で小石が流れの働きでコロコロ回転することによって長い間にうがち開けられた穴のことです。この甌穴は富野辺りでは珍しいので、撤去工事と護岸工事の際にはできるだけ残して欲しい、という要望を住民の方から聞いて、先日の新橋開通式のテープカットに来て下さった美濃土木事務所長さんにも口頭でお願いしてあります。

 

八神の狭い谷の奥にある小麦畑を視察に行きました。

本当は水田ですが、小麦を栽培している場合には5年に一度は水田に戻さなくてはなりません。便宜的にひと月間水田のように『水張」すればよいことになっています。しかし稲作をしていないと水の心配がなくなってしまい、水路が痛んでも気にかけてこなかったので、水張に必要なまとまった水が得られなくなってしまっています。

お米だけではやっていけないような米価に誘導し、小麦栽培に誘導し、5年に一度はお米を栽培しろ。できないなら補助金はカットする。『百姓は活かさず殺さず。』江戸幕府か!?

小麦栽培には水は大敵なので用水には気をかけてこなかったのに、今度は「水を張れ」って言われて困惑が広がります。農水省の猫の目行政に振り回されてしまう農業の現場です。

今日の藤谷はのどかです。

山柿(やまがき)が熟してきました。でもまだ渋いはずです。

各務原市からの富野北アルプス周遊ハイキングの5人パーティ。

夏山が終わり、今後里山歩きが増えると、毎週末多くのハイカーが見られます。

けものみちに仕掛けたククリ罠、見えないはずが、、、

イノシシが嗅ぎつけて踏み板の縁を覆う土を鼻先で押しのけていました。

もうここはダメです。

 

 

 

 

恵子カー、ダウン

軽の中古でも高いなぁ

 先週県庁からの帰ってくる途中恵子さんの車ノートが岐南町で走らなくなってしまいました。私が駆け付けてだましだまし、関市新田のニッサンディーラーへ乗ってきて修理を依頼しておいたのですが、故障の診断の結果4、50万円はかかるとのこと。

 ある程度は覚悟していましたが、まだ109,511kmしか走ってないのにもったいないけどそんなにかかるのならいっそ新しくした方がよさそう。とはいえ日常的にそう走るわけではないので軽自動車で、程度の良い中古車はどうかな。

 2000年に、生まれて初めて買った『新車』、初代フィットが総支払額が140万円だったのに、中古の軽自動車で138万円だって! 四半世紀で世の中ずいぶん変わったんだ!

クルマに大変詳しい息子にアドバイスを受けることにしました。というか丸投げしましょ。どちらにせよ恵子さんが安全かつ快適に動き回れるようにしないといけません。

 

今朝は9時から市議会の文教経済委員会の協議会がありました。林委員長の元、7人の委員で先ごろ視察してきた糸魚川市の放課後児童教室の民間委託と売木村のSS存続問題について提出してあった所感を再確認し、議会への報告書のとりまとめを委員長と長瀬副委員長に一任することになりました。

私はSS存続問題について、地元では地域委員会がアンケートを取って住民の考えを集約しようとしており、議会も本件について行政視察に出かけたうえで概ね積極的な所感が寄せられているのだか、このうえは当局においても一層積極的な関与を求めたい、と発言しました。

*写真は随行の議会事務局員Wさんの撮影。

左から林文教委員会委員長、市川委員、浅野委員、売木村副村長様、猿渡委員、長瀬副委員長、SSの所長(元村会議員)と後列左から安達委員と川合治義です。

藤谷川の災害復旧工事が進んでいます。

 

三十三観音塔

江戸末期の庶民の願い

 西国三十三ヶ寺を巡る巡礼は江戸時代の庶民にはとてもかなわない贅沢だったことでしょう。それを成し遂げたと言われるヒトで私が知っているのは美濃市の口野々の素封家で、幼い娘を亡くして、その霊を弔うために巡礼した山田さんという方です。

 その山田さんが口野々から見坂峠を経て高沢観音までに建立した三十三の石仏が高沢古道沿いに残っています。富野北アルプスにはそのうち20番から33番までが見られます。

 昨日関市文化協会の研修旅行で参拝した石山寺の境内にあった西国三十三ヶ寺の略地図です。これも紫式部のお導きかな。今までに行ったことのあるのは琵琶湖に浮かぶ竹生島宝厳寺と揖斐の谷汲・華厳寺だけでしたので石山寺は3つ目です。

巡礼できないのならミニチュアの三十三ヶ寺巡りをしてやろうというのが三十三観音塔です。

 上之保の三十三観音塔は全部で9基あります。私はすべてを見たことがありますが、中でも鳥屋市の倉洞のものが一番気に入っています。18世紀から19世紀にかけて上之保の庶民がおそらくずいぶんなお金を集めて原石を買って来て石工に彫らせたのだろうと思います。詳しいことは上之保地域委員会の長尾さんがお詳しいと思います。

 

 富之保から郡上市へ抜ける雁曽礼地区の奥の方にも1基だけ三十三観音塔がありました。今日は恵子さんと七宗町八日市川をさかのぼり、峠を越えて上之保中学校跡の近くへ下りました。その時に気づいたのがやや小ぶりな三十三観音塔。

菊の花が供えられて、地元の方々に大事にされていることがよく分かります。


今朝の新聞に載っていた武儀地区『趣味の作品展』を生涯学習センターに見に行きました。