敗戦から79年
国策を誤りアジア諸国を支配しようとした軍国主義の先兵として異国の地に倒れ、太平洋などに沈んだ岐阜県出身の若者は6万人程らしい。弾に当たって亡くなった兵士より食料や医薬品などの補給がないためにむざむざ死なざるを得なかった兵士の方がずっと多いそうです。父の兄のように艦を捨てれば助かるものを『天皇陛下からお預かりした艦を離れては申し訳ない。』と沈んだ若者も数知れません。(参照:重巡洋艦 鈴谷)
私も含めてほとんどの来賓が79歳に達していない中、おそらく10歳未満のときに父の戦死を聞かされた方々からまだ胎内にあるときに父を亡くしたご遺族の参列者の歩みはややおぼつかなく感じました。
このような式典が新たな遺族であふれることのないよう、戦争を放棄した日本国憲法第9条は断固守らないといけないとの思いを新たにします。
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学習塾をやっていたころに加盟していた岐阜県私塾連盟で知り合った日本画家木村友彦さんが日展の日本画部門で特選を受賞されました。学習塾というよりは絵画塾を主とした塾を主宰しておられました。ある時半年ほど欠席されたのは『世界一周の船旅を楽しむセレブ達に船上の暇つぶし?に絵画の指導をする。』アルバイトをしてきたから、というのでびっくりしたことを思い出しました。来年2月に名古屋に巡回して来たらぜひ見に行こうと思います。
岐阜新聞の記事から