関市議会議員 川合治義つれづれのブログpart3

毎日更新中!地域の身近な議員として市民の思いと声なき声を市政に直言します。議員活動報告や日常生活等を記しています。TIKTOKやFacebook、Twitter等のSNSでも随時情報を更新。関市学校規模適正化計画(案)や関市パブリックコメントにも言及。関市立富野小学校、関市立富野中学校の消滅の危機に富野地域最大の課題として取組みます。是非パブリックコメントで関市民の皆さんの意見を市政に届けましょう。

川合はるよし活動報告「関市8月の大雨と被害状況」

8月15日の朝から降り始めた雨は翌16日の朝6時ころには一旦止みました。小康状態を経て16日の午前11時から再び上流部から激しく降り始めました。関市HP から得られる記録と、富野、上之保、富之保、中之保、下之保を隅々まで周り頂いた声から今回の大雨と津保川の洪水について整理しました。大雨と津保川の氾濫の因果関係のご理解と早めの避難準備の判断材料になれば幸いです。

市政報告(活動報告)

以下は被害状況確認状況に関連する記事です。

保谷を隅々まで周り住民の皆さんにお声掛けしました。豪雨当日以降の状況に関する記事をまとめて掲載します。

 

8月16日 豪雨当日

関市危機管理課の対応と被害状況確認

 

まさかの豪雨に素早い対応   

 雨が降ったりやんだりで戸外の活動ができませんし、9月の忙しさも考えて10月議会の準備をと思い立ち家にいるとだらだらしそうなので議会棟の控室で仕事をすることにしました。

3階西側の窓から「わかくさプラザ」を見ていると急に雨脚が激しくなったようでした。昼までにはもう終わったと思っていたのですが、まだ続くようです。 

 このところ取材してきた事柄をパソコンにまとめているとスマホの緊急通報が鳴り始めました。どうせなら発信元をと思い立ち、危機管理課を見学に行きました。課長に声をかけると寄って来て大型モニターの説明をしてくれました。

 邪魔でないこと、写真を撮ってもよいことを確認したうえで説明を聞き、あとは部屋の入り口で職員の仕事の邪魔をしないように気を付けて推移を見守りました。

上之保の河川監視カメラと水位計の設置してある地点で、水位が市道まで1mほどにまで上昇しています。これは5年前のようにならなければ良いがと心配になりましたが、

一旦控室戻り仕事も進めました

折からやってきた北村市議にスネークラインを説明する市の最高幹部の一人。

13時50分の上之保・鳥屋市の「道路冠水の疑い」から事態が急展開を始めました。刻一刻と伝わる情報に対応して災害対策本部の職員が熱心に働いています。これが市民を守る中枢の働きなのか、と感心しながら見守りました。

午後4時40分、雨雲が北寄りから東寄りに流れ始めたので、津保川上流にこれ以上は降らないだろうと思って北村市議とともに最終的に退出しました。

 5時半ころに帰ってきた、富野の南端を流れる志津野川の長坂橋です。

左岸を小型消防車がパトロールしていました。まず自分の安全を確保してくださいね。

小野川です。近所の方に伺うと一番水位が高かった時より少し下がったのだそうです。

八神川が合流してきます。奥に富野北アルプスの本城山と大仏が見えます。

本城山下の砂防堰堤方面から流れてくる支流が大暴れしています。

 阿弥陀堂の脇の流れが市道にあふれ出して石ころだらけです。ご近所の皆さんがてんでにそれをかき寄せて川に流しています。

市道をくぐる土管が詰まったために谷水が市道にあふれているのです。

ここは先日自治連富野支部と関市の土木課・農林課で巡視した「改修要望個所」です。

富野中学校前の橋から奥の本城山方面を望むと川が盛り上がって流れてきます。富野中学校体育館に避難してきていた15人の方々にお見舞いを述べて回りました。

法坂池からの小川は流路を拡張してもらったおかげで大変スムーズですが、市道手前でその工事が中断しているせいで、旧来の水路になったとたんにあふれています。

あと20mほど、市道をくぐるボックスカルパートを改修してもらえばこの小川にまつわるトラブルはなくなります。

富野小学校の校庭端に設置された降雨量計です。

枝葉の上端にスチールの光沢が特徴の円筒が見えます。

正午からの累加雨量が17時10分の42.5mmで止まっている。

時間幅が少し違うがこちらも45㎜で止まっています。

志津野川、小野川、藤谷川の氾濫ぶりからすると富野小学校でのこの降水量はいかにも小さく感じます。富野北アルプスの南麓には豪雨を降らせたのに、小学校周辺の雨はそれほどではなかった、ということでしょうか?

6時ころ、富野ふれあいセンターは無人でした。

上大野へ渡る新しい橋の橋脚が激流に耐えています。

こちらは車の通行が止められている鮎登里橋です。水面から橋げたまでの隙間は新橋より大きいように見えます。将来この程度の大水が出たときに新橋からのぞくと水面が今より近くに見えるのでしょうか。

私がこの春に通行車両にアピールしていた関・金山線の大坪交差点で、旧武儀町・上之保・下呂市方面への北進車は通行止めです。岐阜県が雨雲レーダで「まだ大雨が降る可能性あり」と判断して、災害に備えて通行止めにしているようです。

藤谷川のわが家へ入る橋から見た上流側。富野小学校の雨量計のデータとはかけ離れた氾濫です。

武儀事務所長さんに労いのあいさつをしてから武儀生涯学習センターへ。粟野へ行く途中のビニル集積地付近で土砂が県道に流れ込んだ現場。上之保のY社さんが後片付けをしてくれていました。

15時30分に通報のあった中之保・寺田の山裾では水抜き用の設備ではさばけない土砂を伴った水が県道に流れ出しました。やっぱりね。8時過ぎにはすっかり処理されました。

10時前に帰宅しました。

午後に出かける前にひっくり返して空にしておいたタライ雨量計が約160mmと告げています。少なくとも藤谷川上流ではそれくらい降ったのです。富野小学校では45㎜なのに、不思議です。

5年前の津保川の大氾濫による水害への対応に学んで関市の大雨に対する備えは、本部では設備面でもソフト面でも大変充実してきているように思います。

特に印象的だったのは危機管理課の要請?で本庁の職員が武儀と上之保へ応援に駆けつけることでした。夜になって武儀生涯教育センターと上之保生涯教育センターへお邪魔すると、避難して来た人たちの世話をする職員がちゃんと張り付いていました。

地域事務所と災害対策本部との情報共有と人員配置ではやや課題があるようにも感じました。武儀事務所と上之保事務所で私が訪れた時刻差はありましたが本来は何人いつまで配置についているべきだったのでしょうか。いずれにせよ住民の不安を和らげる方向でますます改善されるものと思います。職員の皆さん、お疲れさまでした。

 

 

【被害状況に確認1日目】濁流ではなく、流木が大きいのでは?

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山崩れも、河岸崩落も

 今朝は6時前に起き、7時前に出発して富野以北の津保谷を走り回りました。

昨日の夕方から走った幹線道路ばかりではなく、谷にも分け入り、お話を聞きながらですので夕方に帰ったら軽トラの走行距離は110km。もっとも途中から息子が追いかけてきて運転を担当してくれたのでその点は気楽でした。

ただ走っているのではなく、お話をお聞きしながら、お願いもしながらですから時間はかかります。7伺って3申し上げるような塩梅で地域の課題を複数の方から収集して歩くのは大変興味深いです。

今回の豪雨で昨日は第一の課題だと思っていたことが、聞いて回っていると、実はその裏にある課題が浮かんできました。これも10月の議会で取り上げなくてはと思ったことです。

今日のブログのテーマは表面的な第一の課題です。ちなみに今朝出発前に届いたメールによると朝5時過ぎに関市の職員が藤谷に災害調査に来てくれたそうです。早寝早起きのUさんが数か所の災害現場を案内してくれたそうです。

富野中を回りましたが、立ち入り禁止のコーンが立ててあるなどその足跡が見受けられました。本当にありがとうございます。

昨日は道路が川になっていた現場です。

この集水桝の流入口を、谷から流れてきた流木が塞いだことが原因でした。

別のところ見かけた流木と燃料用に刻まれた槙?

津保川、富野から富加町へのリレー地点です。

大きくカーブするので流れがいったん渦を巻くのでしょうか。

草が一様に上流側に寝かされています。

上之保温泉ほほえみの湯の下の田んぼです。このあたりの津保川はかなり大幅に改修されたのですが、船山からの流入口の対岸で越水して稲に芥が乗っかっていました。

橋の橋脚に根っこごと流されてきたと思われる杉の大木がひかかっていました。

取水堰です。ここにも大きく長い流木が不自然に残っています。

 

床下浸水に見舞われた家屋です。

郡上市小那比から火打坂トンネルを抜けて関市に入った所にある橋のたもとに設置された危機管理型水量計と河川監視カメラです。ここの情報から関市の洪水の経緯が把握が始まります。

某所、伐採あとの山肌

昨日の午後4時ころに撮影された、県道への濁流。

この沢の雨水をさばくのに十分と想定して設けられた水路をあふれたのですね。

自然の脅威は住民も覚悟の上ですが、ヒトの営みによって狂暴になった自然は想定以上で対処が難しいのです。

 SDGsが空虚です。

今日3か所、7人にお聞きしたことは別のことです。

もう少し時間をかけて広くお聞きしていきたいです。

 

【被害状況に確認2日目】公共財産の管理

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自分、仲間、公のけじめ

 わが家の目の前の水路が谷水の運んできた山土で埋まってしまいました。写真に写った20mほどと、クランクした先の40mほどですので自分一人ではとても処理できません。そもそもこの水路は山からの水をはくだけのものです。耕地整理によって藤谷川の流路が付け替えられて、もともとはストレートに川へ落ちていた谷水を流す水路なのです。水田利用組合の仲間でさらえるか、公つまり関市に頼むか。大雨の宿題です。

昼前には森林の皆伐について林業関係者を訪ねて意見交換してきました。

帰り道に道の駅・平成の前の津保川で泳ぐ子供を見かけました。危ないから止めるように言おうと思いましたが、陸に家族らしい大人が2、3人見守っていたので止めました。ただ、この子供がいったん水に流されだしたら陸で見守っていては即座に対応できるかどうか。

 

下之保・多良木の西の端から見た、富野の東の端上日立の津保川右岸です。

立っているコンクリートの地面は大雨の洪水で洗われていました。

県道にもひたひたと水がついたそうです。一時的に片側交互通行になったとか。

上之保で洪水の危険性が過ぎ去り、武儀へ至った洪水がここで県道を脅かしたのです。

 

小規模ながら谷水が集水桝を埋めて、道路に流れ出したらしい現場です。

市の職員が3人がかりで応急処置をして水が流れるようにしていきました。

私は全く関与していませんが、この程度のことで市の職員が自ら作業するのかな。

おとといの八神上の自治会の皆さんの共同作業の様子が思い浮かびました。

 

 こちらも同じように谷水がグレーチングを埋め、土砂が市道にマウンドを作った現場です。近所の方が一人でスコップを使ってご覧のように片付けてくれました。

 

自分やるか、皆でやるか、公に頼むか。

ここが土木水利委員の出番じゃないでしょうか。

一昨日の八神上の皆さんの共同作業の様子。

 

 

【被害状況の確認3日目】命に係わる土砂崩れ

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緊急な処置を要望します。

 今朝9時前に自分の自治会の方から『自宅脇の水路の石垣の崩れと裏山の崩れ』を見に来て欲しい、とお電話がありました。

 自主的にブルーシートを掛けておかれなかったらもっと崩れて屋内に土砂が流れ込んでいたかもしれません。財産どころか命に係わる災害の一歩手前で止まった!

藤谷の共同墓地ののり面の崩れです。赤土が市道に堆積しています。

その市道の下ののり面でも土砂崩れです。これに並んでもう2か所でのり面が崩れていて、通行止めにしないと2次災害を引き起こします。

わが家の土蔵脇を流れ下った濁流の置き土産で、水路がすっかり埋まってしまいました。これはもう公に頼むしかありません。

およそ100年前に組まれた石造りの堰堤が決壊しました。

これはもう自治会長名で関市に対して災害復旧をお願いするしかないです。

およそ7、8か所で自助・共助ではどうにもならない災害が自分の足元で起きていたのです。

 

古野の県道から見た対岸の上大野の様子。

一昨日の午後5時ころから上大野集会場へ地元の方々15~20人が避難されたそうです。5年前の水害の恐怖がよみがえったのも無理ありません。津保川の大規模な改修によってそこまでの洪水にはならなかったようです。

藤谷に戻りました。

鉄塔の奥に高沢山が見えます。積乱雲がぐんぐん伸びていきます。

 

【被害状況の確認4日目】豪雨の爪痕

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空は晴れても田んぼは闇だ!

富野ふれあいセンターを対岸の上大野から見たところです。

一対の橋台と津保川の中央に橋脚が立っています。これが洪水時に水を被っていた、とい証言が複数あります。ここに橋げたを乗せると漂流物が支えて両岸へ濁流が流れるのではないかという心配の声もあります。

素人の私も同じことが心配ですが、優秀な設計者がしっかり計算しているのですからまずそのような事態には至らないでしょうね。

5年前の7月8日未明の大洪水の水害では富野ふれあいセンター前の県道は50cmほどの冠水でしたが、今回の洪水は写真でお分かりのように、最高水位でもずいぶん下に留まりました。2m以上の差があるように見えます。

降水量が絶対的に少ないことがありますが、技術者の計算に基づく津保川の改修(断面積の拡張)で見事に洪水の水位が下がっているのです。小学校の校庭へ小野川を渡る通学用歩道橋は洪水に洗われましたが、校庭に水はつかず、津保川へ円滑に流れ込んだようです。

 

津保川は大丈夫でしたが、実りの時期を迎えた日本中で、田んぼへ水を引く用水路が埋まる事態は深刻のようです。昼のニュースでは鳥取県八頭町のことが紹介されました。

わが藤谷でも田んぼへ谷水を導く用水路が埋まってしまう事態があります、

稲の登熟がほぼ進んでさほど水のいらない段階に達しているのが救いです。

 

関市立図書館の屋上にあるプラネタリュームのドームの奥に発達する入道雲が!

 

【被害状況の確認5日目】新鮎登里橋周辺の洪水水位

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5年前の洪水・氾濫には遠く及ばなかった

上大野と西神野を結ぶ鮎登里橋は5年前の洪水以来車両の通行は禁止されており、新橋が渡れるようになったら落とされる予定です。

架橋以来60年ほど経過し橋げたの腐食が激しいことと、洪水時に2本の橋脚が流れを邪魔するために上大野や西神野・中央地区への浸水を招くことがその理由です。

この写真は今月8月16日午後6時ころに撮影したものです。

今日歩道橋から撮影した上流側。

洪水によって寝かされたササの様子から、最高水位が分かります。

富野ふれあいセンター上流の右岸に残る洪水後もくっきりです。

5年前・2018年7月8日に撮った同じ右岸です。

洪水は引きましたが、氾濫の爪痕がくっきりです。

今日の新橋建設現場。一本だけの橋脚が立っています。

上大野の側から富野ふれあいセンター前の津保川右岸をパチリ。

洪水の最高水位がよく残っています。

小学生の頃は津保川で水泳する子供はいっぱいいました。

このカーブは『巻き川』と言い、深くて渦があるので水泳禁止でした。

竹薮が途切れたところで支流の小野川が合流します。

茶店と唐揚げ屋が入っているテナントの裏も洪水の跡が見えますが、余裕あり。

5年前の洪水時にはどちらの店にも浸水し、復旧までしばらくかかりました。

地域の喫茶店を生き返らせようと、ママの同級生たちが一生懸命ボランティアで働かれました。団塊の世代前後の高齢者は骨身をお惜しみません。

富野ふれあいセンター前の新橋橋台近くでパチリ。

上流もパチリ。

下流です。このカメラの高さまで洪水の最高水位が上がったのですね。

5年前の洪水の氾濫最高水位は今回とは比べようもないほど高かったのです。

津保川の洪水を防ぐための大規模な河川改修の成果ですね。

8月16日の午後6時ころの様子です。梁を固定する構造が青いシートで覆われています。

 

八滝ウッディランドのドーム。

コンサートや演劇をやったら面白そうです。

この橋、なんという名前だったかな。

奥の左端にできたばかりのシャワー棟があります。

キャンプやバンガローもありますよ。

中之保・小宮から柳瀬へ渡る橋です。

橋脚の円柱のように見える部分は洪水にスッカリ洗われました。

梁は浸かった程度でしょうか。

下之保・上野と多良木を結ぶ橋です。

ここにも今回の洪水の最高水位が記録されていました。

5年前の洪水災害の教訓を生かして高齢者などの避難呼びかけから始まった危険回避は大変円滑でした。結果的に津保川に限っては、洪水水位は5年前には及びませんでしたが、危機管理がうまくできたと言えるでしょう。

 

【追記】防災無線受信機の点検を

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上之保地区へ呼ばれて

午前中は自宅で事務的な仕事と田んぼの見回りなどでゆっくりとして一昨日、昨日の作業と運転で痛む腰をいたわりました。

稲が実ってきました。

もう刈り取って欲しいですが、田んぼがこのところの雨天続きでぬかるんでいます。

深沼の田んぼにとりついたイノシシが夜ごと暴れて稲が次々に踏み荒らされます。

もののけ姫」のころにはこれほどの事態は予想もしていませんでしたが、もうこうなると稲田を荒らすシカとイノシシは一定程度駆除せざるを得ません。『一定程度』の判断が難しいですが、少なくとも作物を荒らす気が無くなる程度にはしたいです。が、鉄砲猟師でない限り積極的に攻める『巻き狩り」はできません。

 準備した罠檻に入ってくれるのを待つしかない消極的な狩猟では「一定程度」に到達することは難しいでしょう。せいぜい「一矢報いる」程度かな?

 

午後には上之保に出かけて政治活動です。

ある地区で『防災無線放送を聞く装置が壊れてしまった。新しいものに代えようと上之保事務所に電話したけど「もうない。」と言われた、との訴え。

直ぐに事務所に行って内容を伝えると『現物を持ってきてチェックさせて頂きたい。

乾電池の寿命が尽きて液漏れしている可能性があるし、コンセントを抜きっぱなしにしてある可能性もあるので一概には言えない。危機管理課へ申請すれば地区に応じた受信機を用意できる。』との回答。

取って返してコンセントの件、乾電池の件を再点検してみることを勧めました。そのうえでまだ調子が悪ければまた連絡をして頂くことにして帰ってきました。

 

なんだか子供のお遣いですが、どうも住民には事務所の敷居が高いらしいのです。頼られる事務所のはずですが、住民には誤解や思い込みによる不信もあるのでしょう。私としては公平で公正な姿勢を堅持する努力が必要です。

 

ちなみに、昨日の関まちづくり協議会によるYouTubeの『市長選予定候補者討論』で山下さんが言っておられたように『市の職員がもっと積極的に市民の中へ入って要望をつかむ必要がある。』というのはまさに正鵠を得た発言だったと思います。

 

防災無線受信機については、地区内で設置されている全世帯を対象に何らかの調査と、その結果で不都合があれば点検を行うのが良いと思います。

 

夕方になって下之保・西洞で知り合いに声をかけると『高沢観音へ上る道路の下をくぐる土管が2か所で詰まっている。早急に水が通るように土砂を取り除かないと、あのままだと次の大雨で土管の上の道路の舗装がはがれてしまい、道路も流されてしまう。』との訴え。

 

早速杉の植林で昼間さえ薄暗い道を、指定された地点に行ってみるとまさにその通り。

市の土木課でも把握されていない件かもしれませんので、明日の朝いちばんに連絡します。身近な高沢観音なのに灯台下暗し、見逃していました。

 

【追記】皆伐には細心の配慮を

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林業振興のためにも節度を

中之保の県道の歩道脇で土砂崩れがあったと聞いて、見に行ってきました。

 写真の左端、ガードパイプが途切れているところから、県道を横切った赤土濁り水が中之保川へ流れ落ちるときに法面を洗って土砂崩れを起こしたようです。

それほど大規模ではありませんが、確かに法面がえぐれています。

 直ぐそばに大口径の土管が、県道を横切って来ているようですが、濁り水は路面も横切ったのです。

 中之保川のここの少し上流では8月16日午後3時半過ぎに、皆伐された沢からの濁流が水路からあふれて県道に流れ出し、県道が一時通行止めされました。

立入れませんが、鉄板の上端の奥に水路の集水枡があるはずです。

その集水桝がしっかり働けば一定程度までの表流水はさばけるのではないでしょうか。

明確ではありませんが、そのように設計されているはずです。

当日夜9時前に撮った濁流が収まったあとの様子です。

上之保のY工務店の方々が県道の土砂をすっかりきれいにして下さいました。

今日もまだコーンが立っている現場です。

別の伐採跡です。ここも水路が土砂で埋まって道路を水が流れています。

ちなみにこの小川が武儀倉川に合流する手前には5、6建の家屋があります。

材木だろうがバイオマス燃料だろうが植林山を伐採(収穫)するのは結構です。
ただ広大な皆伐は水系ごとに面積を管理し、皆伐した後始末はしっかりとすべきです。

 

下流で大規模な土木工事を行って治水するのと同時に、配慮ある森林伐採を考えるべき時期に差し掛かっていると思います。

 

活動報告ビラへの問い合わせ電話がありました。

電話

昨日帰宅すると携帯に電話がありました。

『川合さんの活動報告ビラについてですが。』『はい、どのようなことでしょうか。』

ビラにある通行止めについて『神野の県道三差路の通行止めで大変難儀しました。ああいうときにはもっと情報を提供して欲しいと思うんです。』

 ●仕事帰りにあの交差点で止められて「左へ曲がって下さい。」とだけ強制された。

 ●別ルートはないのか聞いても「あとが支えるから早く移動して下さい。」だけ。

 ●仕方なく左折して、ずらりと並んだ縦列駐車に加わってスマホで情報を探った。

 ●携帯で複数の公機関に問い合わせたが、通行止めの理由について要領を得ない。

 ●友達と情報交換すると近隣市の実家に泊まる、とのこと。

 ●自分も市街地にホテルを取ろうとしていると、8時に通行止めが解除になった。

 ●あの交差点の抜け道はどこも狭くて、特に峠越えはもっと危険なはず。

理路整然とお話になりました。

 美濃土木事務所としてはレーダーに映る「市の南方にある、真っ赤に彩られた雨雲が北上して津保川流域で再び大雨が降ると災害が起きかねない。」という判断であったようです。それはそれで至極妥当な考え方だと思います。

 

 課題はこの方のおっしゃる通り、通行止めの理由と解除の見込み、別ルートの安否についての情報などを現場でも地域事務所でも災害対策本部でも共有して、SNS やTV,ラジオを通じて一般市民に伝える体制が整っていないことだと私は思います。

 

『通行止めにすれば確かに災害事故は防げる。でも、仕事終えて家に帰る者の身にもなって欲しい。黙って公の言うことに従え、は納得がいきません。』

 

おそらくこのように思われた方が数百人いらっしゃったと思います。

県(美濃事務所・警察)と市の情報共有、市役所本庁と地域事務所の連絡体制、地域事務所と住民の双方向の情報共有などの点でまだまだ進化できる余地があると思います。

 

豪雨から一月、上之保で6時の確認

 8月16日の大雨についての課題を詳しく調査のために昼ごはん抜きで上之保の過疎地を走り回りました。こんなに長い生木が、どこから流れてきたのでしょう。

危機管理型水位計、水位が一定水準に達すると観測を始めてデータがパソコンで見られるようになります。

川の脇の耕作放棄地まで洪水が達したようです。

刈り取りが終わったばかりの稲田。洪水が危うく堤防を越えて水没させるところでした。

流れてきたゴミ・芥が川岸に残されていて洪水の水位が分かります。

20軒ほどでお話を聞くことができました。