関市議会議員 川合治義つれづれのブログpart3

毎日更新中!地域の身近な議員として市民の思いと声なき声を市政に直言します。議員活動報告や日常生活等を記しています。TIKTOKやFacebook、Twitter等のSNSでも随時情報を更新。関市学校規模適正化計画(案)や関市パブリックコメントにも言及。関市立富野小学校、関市立富野中学校の消滅の危機に富野地域最大の課題として取組みます。

公共の財産の管理

自分、仲間、公のけじめ

 わが家の目の前の水路が谷水の運んできた山土で埋まってしまいました。写真に写った20mほどと、クランクした先の40mほどですので自分一人ではとても処理できません。そもそもこの水路は山からの水をはくだけのものです。耕地整理によって藤谷川の流路が付け替えられて、もともとはストレートに川へ落ちていた谷水を流す水路なのです。水田利用組合の仲間でさらえるか、公つまり関市に頼むか。大雨の宿題です。

 

昼前には森林の皆伐について林業関係者を訪ねて意見交換してきました。

 

帰り道に道の駅・平成の前の津保川で泳ぐ子供を見かけました。危ないから止めるように言おうと思いましたが、陸に家族らしい大人が2、3人見守っていたので止めました。ただ、この子供がいったん水に流されだしたら陸で見守っていては即座に対応できるかどうか。

 

下之保・多良木の西の端から見た、富野の東の端上日立の津保川右岸です。

立っているコンクリートの地面は大雨の洪水で洗われていました。

県道にもひたひたと水がついたそうです。一時的に片側交互通行になったとか。

上之保で洪水の危険性が過ぎ去り、武儀へ至った洪水がここで県道を脅かしたのです。

 

小規模ながら谷水が集水桝を埋めて、道路に流れ出したらしい現場です。

市の職員が3人がかりで応急処置をして水が流れるようにしていきました。

私は全く関与していませんが、この程度のことで市の職員が自ら作業するのかな。

おとといの八神上の自治会の皆さんの共同作業の様子が思い浮かびました。

 

 こちらも同じように谷水がグレーチングを埋め、土砂が市道にマウンドを作った現場です。近所の方が一人でスコップを使ってご覧のように片付けてくれました。

 

自分やるか、皆でやるか、公に頼むか。

ここが土木水利委員の出番じゃないでしょうか。

 

一昨日の八神上の皆さんの共同作業の様子。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

濁流ではなく、流木が大きいのでは?

山崩れも、河岸崩落も

 今朝は6時前に起き、7時前に出発して富野以北の津保谷を走り回りました。

昨日の夕方から走った幹線道路ばかりではなく、谷にも分け入り、お話を聞きながらですので夕方に帰ったら軽トラの走行距離は110km。もっとも途中から息子が追いかけてきて運転を担当してくれたのでその点は気楽でした。

 

ただ走っているのではなく、お話をお聞きしながら、お願いもしながらですから時間はかかります。7伺って3申し上げるような塩梅で地域の課題を複数の方から収集して歩くのは大変興味深いです。

 

今回の豪雨で昨日は第一の課題だと思っていたことが、聞いて回っていると、実はその裏にある課題が浮かんできました。これも10月の議会で取り上げなくてはと思ったことです。

 

今日のブログのテーマは表面的な第一の課題です。ちなみに今朝出発前に届いたメールによると朝5時過ぎに関市の職員が藤谷に災害調査に来てくれたそうです。早寝早起きのUさんが数か所の災害現場を案内してくれたそうです。

富野中を回りましたが、立ち入り禁止のコーンが立ててあるなどその足跡が見受けられました。本当にありがとうございます。

 

昨日は道路が川になっていた現場です。

この集水桝の流入口を、谷から流れてきた流木が塞いだことが原因でした。

別のところ見かけた流木と燃料用に刻まれた槙?

津保川、富野から富加町へのリレー地点です。

大きくカーブするので流れがいったん渦を巻くのでしょうか。

草が一様に上流側に寝かされています。

上之保温泉ほほえみの湯の下の田んぼです。このあたりの津保川はかなり大幅に改修されたのですが、船山からの流入口の対岸で越水して稲に芥が乗っかっていました。

橋の橋脚に根っこごと流されてきたと思われる杉の大木がひかかっていました。

取水堰です。ここにも大きく長い流木が不自然に残っています。

 

床下浸水に見舞われた家屋です。

郡上市小那比から火打坂トンネルを抜けて関市に入った所にある橋のたもとに設置された危機管理型水量計と河川監視カメラです。ここの情報から関市の洪水の経緯が把握が始まります。

某所、伐採あとの山肌

昨日の午後4時ころに撮影された、県道への濁流。

この沢の雨水をさばくのに十分と想定して設けられた水路をあふれたのですね。

自然の脅威は住民も覚悟の上ですが、ヒトの営みによって狂暴になった自然は想定以上で対処が難しいのです。

 SDGsが空虚です。

 

今日3か所、7人にお聞きしたことは別のことです。

もう少し時間をかけて広くお聞きしていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関市危機管理課

まさかの豪雨に素早い対応   

 雨が降ったりやんだりで戸外の活動ができませんし、9月の忙しさも考えて10月議会の準備をと思い立ち家にいるとだらだらしそうなので議会棟の控室で仕事をすることにしました。

3階西側の窓から「わかくさプラザ」を見ていると急に雨脚が激しくなったようでした。昼までにはもう終わったと思っていたのですが、まだ続くようです。 

 このところ取材してきた事柄をパソコンにまとめているとスマホの緊急通報が鳴り始めました。どうせなら発信元をと思い立ち、危機管理課を見学に行きました。課長に声をかけると寄って来て大型モニターの説明をしてくれました。

 邪魔でないこと、写真を撮ってもよいことを確認したうえで説明を聞き、あとは部屋の入り口で職員の仕事の邪魔をしないように気を付けて推移を見守りました。

上之保の河川監視カメラと水位計の設置してある地点で、水位が市道まで1mほどにまで上昇しています。これは5年前のようにならなければ良いがと心配になりましたが、

一旦控室戻り仕事も進めました

折からやってきた北村市議にスネークラインを説明する市の最高幹部の一人。

13時50分の上之保・鳥屋市の「道路冠水の疑い」から事態が急展開を始めました。刻一刻と伝わる情報に対応して災害対策本部の職員が熱心に働いています。これが市民を守る中枢の働きなのか、と感心しながら見守りました。

午後4時40分、雨雲が北寄りから東寄りに流れ始めたので、津保川上流にこれ以上は降らないだろうと思って北村市議とともに最終的に退出しました。

控室に戻り、やりかけの文書の切りがよいところまで進めて今日は終了しました。

 5時半ころに帰ってきた、富野の南端を流れる志津野川の長坂橋です。

左岸を小型消防車がパトロールしていました。まず自分の安全を確保してくださいね。

小野川です。近所の方に伺うと一番水位が高かった時より少し下がったのだそうです。

八神川が合流してきます。奥に富野北アルプスの本城山と大仏が見えます。

本城山下の砂防堰堤方面から流れてくる支流が大暴れしています。

 阿弥陀堂の脇の流れが市道にあふれ出して石ころだらけです。ご近所の皆さんがてんでにそれをかき寄せて川に流しています。

市道をくぐる土管が詰まったために谷水が市道にあふれているのです。

ここは先日自治連富野支部と関市の土木課・農林課で巡視した「改修要望個所」です。

富野中学校前の橋から奥の本城山方面を望むと川が盛り上がって流れてきます。富野中学校体育館に避難してきていた15人の方々にお見舞いを述べて回りました。

法坂池からの小川は流路を拡張してもらったおかげで大変スムーズですが、市道手前でその工事が中断しているせいで、旧来の水路になったとたんにあふれています。

あと20mほど、市道をくぐるボックスカルパートを改修してもらえばこの小川にまつわるトラブルはなくなります。

富野小学校の校庭端に設置された降雨量計です。

枝葉の上端にスチールの光沢が特徴の円筒が見えます。

正午からの累加雨量が17時10分の42.5mmで止まっている。

時間幅が少し違うがこちらも45㎜で止まっています。

志津野川、小野川、藤谷川の氾濫ぶりからすると富野小学校でのこの降水量はいかにも小さく感じます。富野北アルプスの南麓には豪雨を降らせたのに、小学校周辺の雨はそれほどではなかった、ということでしょうか?

6時ころ、富野ふれあいセンターは無人でした。

上大野へ渡る新しい橋の橋脚が激流に耐えています。

こちらは車の通行が止められている鮎登里橋です。水面から橋げたまでの隙間は新橋より大きいように見えます。将来この程度の大水が出たときに新橋からのぞくと水面が今より近くに見えるのでしょうか。

私がこの春に通行車両にアピールしていた関・金山線の大坪交差点で、旧武儀町・上之保・下呂市方面への北進車は通行止めです。岐阜県が雨雲レーダで「まだ大雨が降る可能性あり」と判断して、災害に備えて通行止めにしているようです。

藤谷川のわが家へ入る橋から見た上流側。富野小学校の雨量計のデータとはかけ離れた氾濫です。

武儀事務所長さんに労いのあいさつをしてから武儀生涯学習センターへ。粟野へ行く途中のビニル集積地付近で土砂が県道に流れ込んだ現場。上之保のY社さんが後片付けをしてくれていました。

15時30分に通報のあった中之保・寺田の山裾では水抜き用の設備ではさばけない土砂を伴った水が県道に流れ出しました。やっぱりね。8時過ぎにはすっかり処理されました。

10時前に帰宅しました。

午後に出かける前にひっくり返して空にしておいたタライ雨量計が約160mmと告げています。少なくとも藤谷川上流ではそれくらい降ったのです。富野小学校では45㎜なのに、不思議です。

5年前の津保川の大氾濫による水害への対応に学んで関市の大雨に対する備えは、本部では設備面でもソフト面でも大変充実してきているように思います。

特に印象的だったのは危機管理課の要請?で本庁の職員が武儀と上之保へ応援に駆けつけることでした。夜になって武儀生涯教育センターと上之保生涯教育センターへお邪魔すると、避難して来た人たちの世話をする職員がちゃんと張り付いていました。

地域事務所と災害対策本部との情報共有と人員配置ではやや課題があるようにも感じました。武儀事務所と上之保事務所で私が訪れた時刻差はありましたが本来は何人いつまで配置についているべきだったのでしょうか。いずれにせよ住民の不安を和らげる方向でますます改善されるものと思います。職員の皆さん、お疲れさまでした。