息子夫婦の学び舎
午前中は弁慶俳句会の会報作りの準備。
今夜は恵子さんが栄で仕事の日です。田植えも済んだので気分転換に都会の空気を吸いに行こう、ということで車で送りました。いつもは41号線のトンボ返りなのですが、今日は東海環状道の瀬戸市から長久手市に入って息子夫婦が学んだ県大にも寄ってみました。
二人とも息子が入学した前後に1、2度行ったように思いますがはっきりしません。末っ子の時には入試時に恵子さんが、寮に入るときには私が札幌までついて行った記憶があります。でも長女の時には入試時とアパートを決めるときに恵子さんが一緒について行ってあげたのに、私は高松へ行ったことがないままです。
3人の子どもを育てるために必死だったので塾を休むのが怖かったのです。
上の2人が卒業して楽になった末っ子の時だけ別々とはいいながら二人とも札幌まで送ったのは不公平だったな。高校、大学へ行かせるのは現在の方がもっともっと大変になっていると思います。ヨーロッパ諸国のように大学までただで通えれば、一組の夫婦がためらわずに3人、4人と子供を産めるのではないかと思います。
『関係者以外立ち入り禁止』の看板のそばにいたガードマンに『息子夫婦の母校です。15分ほどお邪魔させてください。』とお願いしたら、『あちらの駐車場へ入れて下さい。ごゆっくりどうぞ。』と誘導してくれました。
20年前と比べると建物も施設もずいぶん充実しているように感じました。
中央の通路の正面にはパリの新凱旋門のような建物がありました。
E は息子の学部、Gは嫁さんの学部です。守山区の志段味には看護学部があります。
ガラス張りの中庭の植栽も大きく生長しています。
ガードマンに許可を得ているから、と思って最上階にも上ってみました。
左端に東山動植物園の東山タワー、右の奥には名駅周辺の高層ビル群が見えます。私が住んだころには県大は昭和区の滝子にあったのですが、今、ジブリパークの近くでこんなに充実した大学になっていたのに時代の流れを感じます。
リニモの「愛・地球博記念公園駅」が左手中段に写っています。そういえば『地球博で混雑するので1年休学して旅行に行ってくる。』と言って地球一周に出かけちゃったんだったな。
ガードマンにお礼を言うと敬礼をして送ってくれました。普段着の他県NOの車に乗った夫婦なのに不思議なくらい丁寧です。『卒業生』は重いのですね。
50年近く前に新聞店のバイクや牛乳店の軽トラで走った名古屋ー長久手線を一路西へ走ります。車がいっぱいいて運転が楽しい。街がどんどん変わってきているのがよく分かり興奮します。青年たちが都会にあこがれる気分がよく分かります。
2年の時新聞店を一年で辞めて、夕刊に縛られない牛乳配達のバイトに乗り換えました。その森永牛乳・覚王山販売店は日泰寺の参道の入り口付近にありました。
私が勤めた西川印刷のかつての本社ビルの脇にある書店です。
当時の社長がサイドビジネスで始めたのですが、息子さんの代になって売却されたと聞きました。西川コミュニケーションズ(株)も栄に移ったので、私の4年間余勤めた本社関係の建物はここでは何もなくなりました。
東片端、高速に乗る手前にある鍋屋さんです。
都会は刺激的です。若者には面白いし、ぜひ都会暮らしも体験して欲しいと思います。
それでもそこでずっと暮らすことはあまり勧められません。お金もかかるし、くたびれる。私に限って言えば、直線的な都会の風景よりも、柔らかい曲線ばかりの田舎暮らしの方が人間的なのではないかと思えます。