「無縁坂」を思い出す
今朝は関中央病院で関市健診を受けました。
9時半から10時半までちょうど1時間かかりました。
胃カメラー異常なし、食堂から十二指腸まで桜色のトンネルは見とれるほどきれい!
胸部レントゲンも詳しくは分かりませんが「よく撮れた」ようです。
前立腺がんのための採血もありましたが、この結果はしばらく先です。
血圧も図りました72~114だったかな、全く問題なしです。
帰り道、市平賀の富岡保育園の新築工事の様子を見ました。もうすぐ完成ですね。
園庭に新鮮な土を入れているようです。
ちょうど昼ご飯時に帰り、恵子さんとホッケの干し魚をおかずに美味しく頂きました。
12時45分過ぎ、TVを付けると「ブギウギ」のサイケデリックなオープニングが始まりました。どうも好きになれません。
ブギウギで大当たりしたすずこがパンパンの元締め「楽チョウのおミネ」とうどんをすすりながら会話しています。「生きていくのに必死や!」戦争が彼女たちの人生を大きく変えたのです。
大阪の小学生だった時の大の親友たいこちゃんは夫が戦死し、自分は病気で寝込んで息子の靴磨きの稼ぎが命の綱です。『こんなみじめな姿を見られて本当につらい!」真柏の演技です。
かつての親友に拒否されてすずも感極まります。
37歳で病を得て、7年間の療養生活の後半は起き上がることさえできなかった私の母が一人だけの病床で泣いているのを聞いたものです。子どもは3人とも男子で、本当に可哀そうでした。
さだまさしの『無縁坂』を聞くたびに母の人生を思い出します。
『運がいいとか悪いとか 人は時々口にするけど そうゆうことって確かにあると あなたを見ててそう思う』
関市は日本一幸せなまちを目指します。 この頃は(日本一)は無くなってるかな。
病気になっても希望も誇りもなくさないまま生き続けられる世の中であって欲しい。