さかぐち直人さんの足跡も
三重県松坂市の楠谷さゆり市議会議員に会いに行きました。松阪市議会の議会広報紙の編集委員も務めていますのでお話を伺えたらと思っていたのですが、タイミングが悪くて会えませんでした。その分時間があって松阪城跡とその構内にある国学者本居宣長の鈴屋と記念館をたっぷりと見学できて大満足でした。
かなり大規模な城郭だったことが分かります。
城内に入ったところに明治時代に建てられた洋館のような旧図書館があります。
二階で何やら特別展が行われていましたが入りませんでした。
石垣の上の幅3mほどの回廊をぐるっと歩きましたが、カンカン照りで大汗をかきました。それでも城マニアはいるもので10人ほどのそれらしき人々と挨拶を交わしました。すでにクマゼミがうるさかったです。
本丸を抱える石垣です。
本丸の隅に天守台があります。
市街地を見下ろします。
松坂市の市役所です。ちなみに松坂市議会議員は28名で、そのうち女性議員は5名です。率からすると22が定数の関市議会なら4名の女性議員がいることになります。
続いて鈴屋へ行きました。宣長は軒下に36もの鈴を吊り下げていたとのことです。
照明はありません。江戸に店を出すほどに木綿問屋として成功していた本居家の跡取りは幼いころから聡明であったようです。
17歳の時に宣長が作成した日本全図は伊能忠敬の実測の地図にはかないませんが、大変な情報にあふれていたそうです。左の大阪湾と右に伊勢湾が見える紀伊半島の地図です。
左下に岐阜、加納そして鵜沼が見え、中山道の太田のあとは木曽川です。
鵜沼から十里の郡上への赤線の街道に日野、そして関のあとには何とあるのでしょうか。17歳で日本の姿をほぼ正確につかんでいたのですね。
次に記念館に入りました。
12のクイズがあって一気に宣長通になりました。
万葉仮名を覚えるために、師である賀茂真淵の助言で万葉集を勉強して古事記を判読できるようになった宣長が『古事記伝』44巻を著すまでの35年の努力は大変なものでした。
昼間は20歳代に京都で学んだ医学で稼ぎ、夜には鈴屋で研究したらしい。眠くなるので鈴の音で眠気を払ったのだとか。
小児薬『胎毒丸』 調合所 勢州松坂魚町 本居氏製
6分と9分のビデオを両方とも観てますます宣長通になりました。
登城したのが正午、腹が減って下城した時には暑さと相まってくたくたでした。
おっ『本居宣長ノ宮』の鳥居のそばに食堂らしきものが!
麦とろろ飯か、とにかく腹ペコを治めなきゃ。
レディースセット、でいってみよう。
メニューの下に大きな活字。消費税10%に抗うとはなかなかの根性じゃ。
味は期待できないかもね。
それは卑しい先入観でした!
大変美味しゅうございました。
すでに2時半、楠谷さゆりさんに『会えなかったけど、興味深い勉強ができたのと美味しいとろろご飯を食べられたので良かった。』とメールしたら『そこのマスター、15年来の親友です!』との返信、何という偶然でしょう。
勘定を済ませてから『楠谷さゆりさんの友達で岐阜県関市から来ました。』と言って自己紹介すると話が弾み、『阪口直人さんは自分もやっている空手で知り合った!』というところまで話が発展しました。阪口さんは行く先々で人を魅了しています。
ツーショットをお願いしたら空手の型で決めてくれました。