関市議会議員 川合治義つれづれのブログpart3

毎日更新中!地域の身近な議員として市民の思いと声なき声を市政に直言します。議員活動報告や日常生活等を記しています。TIKTOKやFacebook、Twitter等のSNSでも随時情報を更新。関市学校規模適正化計画(案)や関市パブリックコメントにも言及。関市立富野小学校、関市立富野中学校の消滅の危機に富野地域最大の課題として取組みます。是非パブリックコメントで関市民の皆さんの意見を市政に届けましょう。

畔塗り

かつては一番つらい重労働

田んぼは浅いが大きなプールです。

深さ20cmを確保するためには堅牢な畔塗が必要です。

今朝9時から午後1時半まで今年稲作をする田んぼの畔塗をしました。

冬に起こした田んぼと違い畔は草が生い茂ってきました。

モグラや地ネズミの掘ったトンネルが縦横に張り巡らされていて、雨が降ってもそれを通って抜けてしまいますから、このままでは稲作はできません。

40年ほど前までの畔塗は大変な重労働でした。

従来に畔を備中ぐわで切り崩し、畦に沿って溝を掘って水を注ぎ、こねて壁土のように練ります。その泥を備中ぐわで従来の畔に戻して盛ります。そのあとクワの背で撫でてつるつるに仕上げます。言うのは簡単ですがいくつもの工程をすべて手作業でするのですから、土建会社の土方だった父も『農作業の中で一番つらい。』と言っていました。

 

ラクターに積んだ畔塗機は分速5mほどのゆっくりしたペースですが、硬くて高い畔を塗ってくれます。あとは来週の晴れが続くときにもう一度田んぼを起こしてさらさらにこなして、連休の代掻きに備えます。

 

昼ご飯を遅らせて作業し、ずっと右後ろに体をひねっていたので随分くたびれました。

明日以降晴れて日光が強い時間帯に畔塗機をきれいに洗って倉庫の隅に収納します。

 

米糠(こめぬか)を撒いてイノシシをおびき寄せようとしてきた鉄製の箱罠の中にタケノコが生えてきました。入り口の手前にも1本、脇にもう1本と3本同時です。

ホンモノの猟師さんに助言を仰ぐと、早速やって来て、罠を開いて仕掛けてくれました。

タケノコならイノシシを誘うのに十分です。外の2本を食わせて安心させ、檻の中に残った最後の1本を食いに入ったところで、仕掛けた細い針金にイノシシの体の一部が触れれば檻の金網扉が落ちます。

 運よくイノシシが掛かったらまた本物の猟師さんに連絡して仕留めてもらいます。

豚熱の検査をした後、クリーンセンターへ持って行かれて焼却されます。

今夜は雨ですから、ヒト(私)の匂いも流れて箱罠日和です。

外側の2本だけで我慢すれば助かるが、ワナの中の筍にも目がくらんだら、、、、。

長鉄とシティバスの連絡

ガソリンスタンドの存続を!

 鉄製の畳一畳ほどのイノシシの箱罠に餌を撒いておびき寄せようと毎朝山歩きしていますが、なかなか寄ってきません。竹薮に美味しいタケノコがいくらでもあるので、コヌカ程度では無理かもしれません。相変わらず麦畑を荒らす二ホンジカならいくらでもいるのに、許可が下りていません、あくまでも箱罠でイノシシ駆除なのです。

一つ目のユーレイソウがイノシシの蹄の跡のすぐそばに咲いていました。

昨日根尾川沿いにある道の駅『織部の里もとす』の『風の蛍』で大変美味しいシカ肉の串焼きを食べました。これまで頂いたシカ肉で格段においしかったです。

 風の蛍-代表の高木正浩さんは本巣市で年間に捕らえられる二ホンジカ1500頭の半数近くを止め差し、血抜きをなさるそうです。狩りと解体が一体化されて素早く肉を取るので二ホンジカ独特の生臭みがなく、肉もおいしいのだそうです。あまりに美味しいので恵子さんにも1本買って食べさせました。

 市長の方針で東ウイングだけでなく西ウイングでもシカの狩猟とジビエ振興が図られていくので、市役所の担当課でもこの方など、ジビエ先進地へ出かけて学んでもらえると良いな、と思います。

今朝は7時に小学校の校門へ行き、春の交通安全の旗振りに参加しました。ただ、通学路でクマの目撃情報があったため児童生徒たちは保護者の送迎のためか、やや参加者の出足が良くありませんでした。

神野交差点に移動して、今日が当番の藤谷の方たち合流して8時まで行きかう車に交通安全啓発をしました。結局中学生が一人だけ自転車で登校していきました。

昨日瑞穂市で応援した市議会議員候補の鳥居よしふみさんの肩掛け式の拡声器があまりにも小さかったので、私のを貸してあげるために瑞穂市へ。大変よく通るようになりました。鳥居さんが通るように鳥居の前でお願いしました。

熱心な支持を表明して下さった方と立ちながらの懇談。

1時半からは議会棟の3階で6月発行の議会だよりの特集部会の打ち合わせでした。

議会としての立場を踏まえつつ、誤解やミスリードにならないように注意深く原稿を仕上げました。北村市議、村井市議、猿渡市議のち密な論議は理解するのが精一杯です。

先週の委員全員による論議を踏まえて慎重に推敲したので、校正刷りが楽しみです。

 そのあと基盤整備部の都市計画課に行って『津保谷のガソリンスタンド消滅の危機』について、打開策を練るために先進地を紹介してほしい旨要望してきました。

 来年の3月いっぱいで多良木のGSが廃業されることになっています。津保谷の住民のうち多くの高齢ドライバーを始め利用者の間に困惑が広がっています。

 営利事業である反面、なくなれば地域全体の社会問題になります。この問題はすでにうまく乗り切っている先進地があるはずですので、それに学びたいものです。

上之保の児童生徒の通学の足になっている3台のバスです。仮に富野の小中学校が旭ヶ丘に合併されると、100人を超える児童・生徒を往復送迎しなくてはなりません。

武義高校の生徒が放課後の部活を終えて、長鉄で関駅に着くと、その1分後に上之保行きの関シティバスが出発します。市役所の担当者が、保護者の心配を真摯に聞き入れて、自分でその1分を現地視察してくれたそうです。(こういう市職員、いいね

今年度のダイヤは4月号の広報せきと一緒に配布済みですので改正はかないません。もし長鉄の関駅着が多少遅れても、シティバスの出発を柔軟に対処にしてくれるよう岐阜バスに要請してくれたそうです。

今年の津保川中学校から武義高校への新入生は9人ですが、全員シティバスと長鉄の乗り継ぎで通学することになったようで、担当者としては利用客増加もうれしいはずです。市役所の仕事はこういう細かな住民サービスの積み重ねだと思います。ありがとうございます。

 

夕方に出かけて上之保の方3人と親しく懇談できました。帰りには阪口直人さんのポスターを張り替えながら帰ってきたら薄暗くなっていました。

 

水鳥断層

能登の隆起に思いをはせる

 下之保殿村から西洞を抜けて美濃市へ、市境の見坂峠です。

口野々の東の峠に三十三観音の第壱番那智青岸渡寺の石仏があります。

ここを起点に終点である高沢観音の本堂裏のみたらしの泉の参拾参番美濃谷汲山華厳寺までの石仏が続きます。

江戸時代末期に口野々の素封家が娘さんの夭逝したことを悲しんで、西国参拾参のお寺を巡礼したあと、この石仏を100m~300m置きに立てて、美濃からの高沢観音参りの人びとを慰めたということです。

傍らにマムシグサ

オドリコソウ

美濃市の大矢田で、色褪せた阪口直人ポスターの貼り替えをしました。

瑞穂市議会議員選挙に立候補している旧知の鳥居よしふみさんの街頭宣伝に参加しました。選挙事務所も宣伝カーも使わない独特の選挙戦術です。夕方にも参加しました。

そのあと淡墨桜を目指して根尾川沿いに北進、途中でポスターを張りました。

駅の正面のお宅の倉庫にペタ。

水鳥にある濃尾大地震の際にできた断層を見学。

断層崖には草が生えていますが、その右手端には当時の石垣が残っています。

そこからかなり離れたところにその石垣の続きが残っています。

断層崖が石垣を崩してしまい、そこが道路になったので、不連続の石垣ということです。輪島港などの海底隆起によって船が出せないと聞きますが、地震のエネルギーというのは凄まじいことがよく分かります。

 

芽吹き盛ん

暑さの中で農作業

 田植え機の点検をしたあと、イノシシ除けの電気柵を更新するために、従来の断線補修の多い電線を回収しました。田植え機は植え付けに並行して肥料を撒く装置が経年劣化しているのでヤンマーに修理を依頼してあります。

 電線の回収に2時間弱かかってしまいましたが、あまりの暑さに昼前までの作業にして切り上げました。まだ畔塗作業も控えているのでゆっくりやって体力を温存しなければ持ちません。昨日で満71歳になったので、少しペースを落としたほうが良いでしょう。

大垣からやって来て高沢観音から富野北アルプスを歩いてきたソロのハイカーの写真を撮ってあげたら私のも撮ってくれました。『御岳や白山、滝など見どころもいっぱいで楽しませてもらいました!』と喜んでくれていました。午後には関市文化会館辺りにお住いだという女性ソロが同じように歩いてくれました。

川に被さるように枝を突き出しているアベマキの花が盛りです。こんな花であの大きなどんぐりを付けるなんて不思議です。

わが家の裏山にそびえ立つアベマキはやっと葉を伸ばし始めたところです。

既に別のところで聞こえ始めたオオルリが、あの枝でも歌うのはそう遠くないでしょう。暑くなったわけです。

山裾で見つけた「野ざらし」の子ザルのしゃれこうべです。

病気か事故で1、2歳で死んだのでしょう。体はありませんでした。

水に漬けておき、使い古した歯ブラシと練り歯磨きで丹念に磨いたらきれいになりました。よく乾いたところで脇にローソクと線香を立てて供養してあげました。手に取って観察していると頭蓋骨に空いている鼻や耳、眼窩などがとても興味深いです。

午後にやってきたすみれちゃんとさくらちゃんが怖がると思ったのに全く平気だったのが意外でした。

キンポウゲ。別名『ウマノアシガタ

これを食ってかつて飼っていたヤギが相次いで死んでしまいました。

 午後8時から八神の集会所で「学校規模適正化計画」による富野の学校廃止計画案の説明会に参加しました。地域委員会の三輪さん、自治連理事の中島さん、長瀬市議と4人で順に話しました。

 

私は昨年の夏に大規模な改修でほぼ新設・完成されたプールのことを話しました。

このこと一つとっても富野小学校は存続の予定だったことが分かります。雨漏りがひどい武儀小学校と津保川中学校に比べて富野は小学校も中学校も建物としても健全です。

またまたクマが出た!

志津野に定住か?

 志津野は富野の南西部で、高速道路の通る谷と、保育園・小学校・中学校のある谷の間の山林がクマの目撃が相次ぐ地域です。下の地図の赤点線の囲みの中にクマが冬眠もせずに越冬して、定住しているのかもしれません。

 昨年11月以来クマの目撃情報が相次いでいます。富野で一番大事な学校と保育園が集中した、考えようによってはソフトターゲット地区です。

昨年11月7日に関市上水道の送水管の上を伝って歩いた大熊の足跡です。

今年の3月1日に上大野の田んぼを複数のクマたちが横切りました。

そして今日は保育園児・児童・生徒の通学路の峠を道幅の半分ほどもある大熊が、写真の左手から右手に渡ったのを車で通りかかった女性が見かけたそうです。

沢の奥にクマ罠が仕掛けられました。

小・中学校ではまたも登下校は保護者の送迎で、ということになりました。

これで旭ヶ丘へ通うことになったら、登校は時間帯が同時で何とかなるにしても、下校時にはかなりな混乱が起こるでしょう。『富野はクマで帰るに帰れんのか?』とからかわれることにもなりそうです。

早くこの罠に入ってくれて、安全な山奥へ移送されて、そこで自由に暮らせ。

 

クマ程恐ろしいとは思いませんが、やっぱり危険で、迷惑なのがイノシシです。

イノシシ除けにおもちゃのコーンを立ててみました。

田んぼの周りで役目を終えた電気コードを竹薮に張り巡らしました。

少し離れたところにある、65年ほど前に捨てられたお屋敷跡の裏山の竹薮は、今まさにイノシシの栄養補給基地となっています。

見事な竹薮ですが、ここ数年は新しい竹が育ちません。

相当数のイノシシどもが毎夜地中の筍を嗅ぎつけて掘って食ってしまうからです。

鼻面と鋭い牙で孟宗竹の網状の根を突き破ってタケノコをきれいに掘ります。

夜7時から関市文化協会の令和6年度の役割分担のための会議に出席しました。

私は広報部に属しますが、部内での任務は何もありません。














百花繚乱

春うらら

モチツツジ

アザミの蕾

カラスノエンドウ

楮(コウゾ)の花はいつ咲いたのか、すでに果実が生長しています。

白い花のスミレ

ムラサキサギゴケ

ヘビイチゴ

コウゾリナ

ムラサキケマン

ゼンマイはシダ植物ですから花はつけません。

田んぼの脇を流れる水路にタニシ

子どものころ、まだ農薬がなかった。

4月になると沼田に入ってタニシを拾いました。大きなカマス(藁で編んだ穀物袋)にいっぱい入れて藤谷川の渕に沈めて泥をはかせました。やがて何度も、適量持ち出して茹でてネギと一緒に味噌で和えて食べました。肉などはめったに食べられない時代でしたのでおいしく頂いていました。 農薬をまくようになるといなくなりましたが、20年ほど前から田んぼに帰ってきました。 ただ、現在は麦を作るため沼田が無くてまた消えてしまいました。

わが家の石垣にはこいつとアオダイショウが何匹も住んでいます。

まだ動くのが大変そうで、日向ぼっこをしているのを撮ろうとしたら、やっと石の隙間へ潜っていきました。ツバメもヤマガラも早く子育てしないと食われるぞ。

私と同じ富野在住で、教員OBの長瀬敦久市議も「学校規模適正化」の名のもとに富野の小学校と中学校を廃校にすることは認めない立場です。今朝の新聞に彼の意見広告が折り込まれていました。協力し合って富野に学校を残すように頑張ります。

私の本件についての意見は先週末に3月議会の報告で1ページ使ってお知らせしてあります。

公共施設を減らせ、そのために学校は統合せよという考えに乗って、数合わせで富野小・中学校を廃校にするなど、とんでもない案です。

 

さらば、籾乾燥機

亡き父の宝物

 木の芽時、毎朝うちの周りで新しい草木の芽や花に目がとまります。

今日摘みました。

天ぷらで頂きます。

やや日陰の薮でムラサキケマン、蜜を吸えるのはどんな昆虫でしょう。

ニリンソウの群生

サルトリイバラ

籾乾燥機を販売店に引き取ってもらいました。

デジタル式で張り込んだ8俵のモミの水分が14%まで低下すると自動的に運転を停止するという、25年ほど前に買ったときには最新式だった代物です。

稲刈りをしてハザにかけて天日干し、晴れ間を見て脱穀機でモミにするという大変な秋の作業から解放してくれた父の宝ものでした。

籾まき機、育苗機、発芽用温室、トラクター、田植え機、コンバイン、乾燥機、籾摺り機。 一貫してコメ作りができるように農機を買い揃えて、生皮な息子の負担を軽減してくれた父は草葉の陰で何と思っていることでしょう。より大規模な生産体系に組み込まれて、使わなくなった農機具の劣化は早いものです。

 

『農は国の礎』

 熱心なコメ作り農家がまた一戸消えたこの現実を農水省、政府は何とも思わない。

『食い物と戦闘機・ミサイルはいくらでもアメリカから買えます。』 

『兵器も指揮系統もアメリカに頼っていれば国は安全。』

『在庫一掃セールが終わって新製品の武器しか残っていなくなったので、もう供給しない。』と言われて慌てている国があることを知らなきゃいけない。

 

まったく、とんだ亡国政府です。