能登の隆起に思いをはせる
下之保殿村から西洞を抜けて美濃市へ、市境の見坂峠です。
口野々の東の峠に三十三観音の第壱番那智の青岸渡寺の石仏があります。
ここを起点に終点である高沢観音の本堂裏のみたらしの泉の参拾参番美濃谷汲山華厳寺までの石仏が続きます。
江戸時代末期に口野々の素封家が娘さんの夭逝したことを悲しんで、西国参拾参のお寺を巡礼したあと、この石仏を100m~300m置きに立てて、美濃からの高沢観音参りの人びとを慰めたということです。
傍らにマムシグサ
オドリコソウ
美濃市の大矢田で、色褪せた阪口直人ポスターの貼り替えをしました。
瑞穂市議会議員選挙に立候補している旧知の鳥居よしふみさんの街頭宣伝に参加しました。選挙事務所も宣伝カーも使わない独特の選挙戦術です。夕方にも参加しました。
そのあと淡墨桜を目指して根尾川沿いに北進、途中でポスターを張りました。
駅の正面のお宅の倉庫にペタ。
水鳥にある濃尾大地震の際にできた断層を見学。
断層崖には草が生えていますが、その右手端には当時の石垣が残っています。
そこからかなり離れたところにその石垣の続きが残っています。
断層崖が石垣を崩してしまい、そこが道路になったので、不連続の石垣ということです。輪島港などの海底隆起によって船が出せないと聞きますが、地震のエネルギーというのは凄まじいことがよく分かります。