電話
昨日帰宅すると携帯に電話がありました。
『川合さんの活動報告ビラについてですが。』『はい、どのようなことでしょうか。』
ビラにある通行止めについて『神野の県道三差路の通行止めで大変難儀しました。ああいうときにはもっと情報を提供して欲しいと思うんです。』
●仕事帰りにあの交差点で止められて「左へ曲がって下さい。」とだけ強制された。
●別ルートはないのか聞いても「あとが支えるから早く移動して下さい。」だけ。
●仕方なく左折して、ずらりと並んだ縦列駐車に加わってスマホで情報を探った。
●携帯で複数の公機関に問い合わせたが、通行止めの理由について要領を得ない。
●友達と情報交換すると近隣市の実家に泊まる、とのこと。
●自分も市街地にホテルを取ろうとしていると、8時に通行止めが解除になった。
●あの交差点の抜け道はどこも狭くて、特に峠越えはもっと危険なはず。
理路整然とお話になりました。
美濃土木事務所としてはレーダーに映る「市の南方にある、真っ赤に彩られた雨雲が北上して津保川流域で再び大雨が降ると災害が起きかねない。」という判断であったようです。それはそれで至極妥当な考え方だと思います。
課題はこの方のおっしゃる通り、通行止めの理由と解除の見込み、別ルートの安否についての情報などを現場でも地域事務所でも災害対策本部でも共有して、SNS やTV,ラジオを通じて一般市民に伝える体制が整っていないことだと私は思います。
『通行止めにすれば確かに災害事故は防げる。でも、仕事終えて家に帰る者の身にもなって欲しい。黙って公の言うことに従え、は納得がいきません。』
おそらくこのように思われた方が数百人いらっしゃったと思います。
県(美濃事務所・警察)と市の情報共有、市役所本庁と地域事務所の連絡体制、地域事務所と住民の双方向の情報共有などの点でまだまだ進化できる余地があると思います。
出会い
昨日の午後に阪口直人さんと、美濃市の方々に支持を訴え、ポスターを張らせて頂きに回りました。
ふと浮かんだのが、前回もポスターをお願いした方のところ。その時は奥さんとお会いしたのですが、昨日はご主人でした。阪口さんがあいさつの後身軽にポスターを張り始めた後で私は「活動報告ビラ」を手渡して自己紹介しました。
『川合さんか。関のどこに住んでいるの?』 『富野の藤谷という山奥の集落です。』
『ほう、その辺りに若くして亡くなった関商工の同級生がおったなぁ。』
『私、その弟です。兄は千尋、関商工の機械科から各務原の川重に勤めました。』
『あぁ、そうや。俺も葬式に行ったわ。どえらい人が集まってびっくりしたもんや。』
兄の高校時代のこと、就職先決定の時先生が兄をほめて下さったことなどを教えてくださいました。 川合家としては実に惜しい人物を早世させてしまったものです。
市長選挙の最終日で、関市を避けて美濃市に伺いましたが、いろいろな方と話すと『世の中は狭い!』と実感します。
回れば回るほど、歩けば歩くほど阪口直人への理解と支持が広がります。
日本国の、そして世界平和にとって実に役立つ人物を何としても国会へ送りたいです。
参考に