60年前の甘いケーキの思い出
TVニュースによると高島屋デパートから届いた5000円もするクリスマスケーキが全国で200個ほど潰れていたとのことです。
毎年クリスマスイヴになると思い出すのが『潰れたけれど甘いケーキ』のこと。
小学5,6年生のころ母が岐阜大学病院に入院していて祖母と兄と私と弟が留守を守っていました。父は昼間の土方仕事が終わると90ccのバイクで岐阜市まで母の付き添いに出かけ、朝になると帰って来てまた土方に出かけるという日課を繰り返していました。今思うと本当に強い意志の人だったのだなぁと思わずにはいられません。
そんな寂しい3人兄弟のことを心配した富加町に嫁いでいた叔母が、クリスマスケーキを買って、わが家の近くに住み富加郵便局勤めだったスーちゃんに託してくれたのです。やはりバイクだったスーちゃんが夕方になって『羽生のおばさんから預かってきたよ!』と届けてくれました。
粗末な夕食を終えた私たちはケーキなんて食べたことがありません。ワクワクしながら箱を開けてみるとデコレーションが、潮の引いた干潟のようになっていました!写真で見て知っているクリスマスケーキとは少し様子が違うけれど取り敢えず菜切り包丁で切って分け、食べてみました。
その甘かったこと。
幼いころ貧しい暮らしをしたことで叔父や叔母・伯母、母の実家の人たちに助けてもらうという経験をしましたね。何とかひねくれものにならずに済んだのはその方々の情のお陰です。
今日の夕食はご飯と野菜の煮つけだけでしたが恵子さんと二人で美味しく頂きました。
高島屋の潰れた高級クリスマスケーキ、飽食の時代のハプニングか、経済効率優先の世の中の崩壊の前兆なのか奇妙な気分です。
正午を挟んで1時間半ほど千年町通の東側で、さかぐち直人さんのビラを配布しました。豊かな家庭に育ち、有名企業に就職したエリートの道をなげうって紛争地の平和再構築への貢献に取り組んできたさかぐち直人さんを何としても国会に送りたいです。
市会議員として市民の幸せのために力を尽くすことと、平和憲法を守り・不条理に苦しむ庶民の味方さかぐち直人さんの味方をすることは私にとって完全に同じ道筋です。