関江南線、え~、各務原!
『関江南線の県道わきに看板立てるので手伝ってもらえませんか。』
『ちょうど空いているし、道具も何でもあるから軽トラに積んで行きます!』
でも現場が各務原の自衛隊機が上空をかすめるすぐ近くだとは思いませんでした。
朝9時に鵜沼のさかぐち直人さんの自宅マンションに着いて看板を積み、助手席に彼を乗せてから「現場」を再確認して『そういえばそこも関江南線の県道わきだな。』
美濃加茂市で川合塾を始める前には、西川コミュニケーションズ勤務時代の同僚の始めた一宮市の塾で講師を務めていて、この路線は3年ほど毎日往復していました。
2月3日が命日の兄が急逝する前後にその塾で「修行」していたことが、恵子さんに安定した仕事を辞めてもらい、当時2人の幼い子供たちを連れて藤谷に帰って来ても何とかやってこられた基礎でした。
その意味では当時の同僚には大いに感謝します。ヒトは常にだれかの『おかげ』で生きているもので、周りの方々にお返しするのはヒトの道ですね。
西側は自衛隊のだだっ広い飛行場で風が強く、時折小雨が降る中3人がかりで試行錯誤して、なんと1時間半近く作業してくたびれました。倉庫にあった杭3本と大きな木槌(カケヤ)、しっかり充電していったスクリュードライバーが大変役立ちました。おかげでビクともしない南北両面向きの縦看が設置できました。
多額の闇金をキックバックして貯めこみ、バレたら『不正だという認識はなかった。』で済ますような腐りきった国政を正すには、岐阜3区では阪口直人さんを国政に送るしかないと私は確信しています。そんな意味で彼のためにはできる限りのことをするのが私の大事な務めです。
関市議会議員としての大事な務めをしっかり果たしながら頑張ります。