関高校生と市会議員の交流会
高校3年生の6月に7年間の療養ののち母が亡くなりました。そのあと図書館に行って大学進学向けの月刊雑誌『蛍雪時代』を手に取って何とはなく開くと、折り込みハガキのページが目に留まりました。『新聞配達をして大学に通える』新聞奨学金制度の宣伝でした。
その晩早速父に宣言しました。『お金の面倒はかけないから僕は大学進学をしたい!』高卒で川崎重工に勤めていた兄には申し訳なく思いましたが、何か道が開けたような気がして高揚していました。そのころは私よりやや年長で、誰もが認める秀才の方々でも家庭の経済状態から高校さえ行かせてもらえない方々がいた時代です。
それまで意識的に勉強したことのない私でしたので手遅れでしたが、何とか奇跡的に愛知大学に合格し、当時は千種区の西山団地で毎日新聞を朝夕配り、2年生からは末盛通や覚王山周辺で森永牛乳を配って通い、卒業しました。
図書館の方に断って撮った関高校図書館の雑誌コーナー、真ん中に『恩人』の蛍雪時代(ピンクの表紙に学習計画とある)が写っています。ここに私の大学進学の起点が、今も息づいていたのです。実に52年ぶりの再会でした。
52年ぶりに入った関高校の図書館3階で、関高校生の地域活動の発表会と市議会議員との交流会がありました。8つのグループが5分ずつ発表しました。
ひと月ほど前に関テラスで鹿ジビエ製品を売っていた高校生のグループの発表。
すべての発表が終わったあとにこの高校生たちとシカ猟とジビエ事情について話し合いました。シカ猟の現場見学を案内しても良いことを伝え、『関市の農林課が何でも相談に乗ってくれそうだよ、』と話すと大変喜んでくれました。
関の魅力を英語で世界に発信しているグループです。村井芙美加議員の得意分野。
最後のグループは北村隆幸議員と日常的な付き合いがあるような様子でした。
県外の大学への進学希望者が7割を超えています。
関市の強みは『自然が豊かなこと!』だから、ベッドタウンになれないかと。
関市の理想像のひとつ、『交通面の課題』では鉄道網の拡張とバスの増便、それに学生や子供の交通費のこと。
関市が名古屋高速バス利用の学生の定期代助成で月額5000円を、来年度から2倍にすることの感想を聞くと『大歓迎です。名古屋がより身近になってうれしい。』
53年前に生徒会の要求で図書館の屋上に上れるようにしたのですが、現在はその階段さえありませんでした。渡り廊下は3階建てなんですね!
関市議会の議場を使った模擬国連総会の提案があったのが面白かったです。実現させてあげたいです。