雪の白滝神社と白山博物館へ
毎年1月には恵子さんと、一度だけ雪景色の中へ出かけます。156号線を北進。
夕べ相談して午後3時の約束には帰れるような近さで決めた旧白鳥町の長滝神社へ出かけました。ついでに去年まで石徹白で3人の子育てをしていて、ご長男の中学校入学に合わせて白鳥町へ下りてきてラーメン屋さんを開いた、廣中さんに会ってお話を伺いたいと思っていました。
向小駄良のらぁ麺のお店『そわか』に着いたのが10時半でまだ開店前です。先に長滝神社へ参詣することにしました。結局参詣(見物)と白山文化博物館を堪能して帰ってきたら1時半でした。『うまい!』ラーメン好きならなおさらこの旨さが分かると思います。
大変繁盛していて話を聞くどころか写真もこれだけ。
旨さの秘訣はこれ。関市山田の『そば屋あだち』を思わせるこだわり書きです。
花奪(はなばい)神事で有名な長滝神社は白山信仰・登山の南の玄関です。
高い天井!
本殿、雪が舞い始めました。やったー!
48年前の1月15日、結婚式を済ませて新婚旅行に出かけた京都の町も雪でした。
二人とも大の博物館好きです。
観光バスはすぐに出るので好みません。
牧野富太郎を思わせる植物画が展示されていました。北海道大学の花エンレイソウ。
暇を見て高知県佐川町へ、ご先祖が藤谷出身で江戸初期に土佐藩へ移った前町長の堀見和道さんを訪ね、ついでに武儀神社と牧野富太郎記念館を訪れてみたいです。
機織り機です。わが家にもあって母が実際に布を織っていた覚えがあります。
『おかちゃん!』と呼びかけそうになった機織りの女性。65年前の思い出ですね。
麻糸を生産していた覚えはありません。
ただ同じようにして「楮(こうぞ)」を蒸して皮をむいて美濃市の製紙会社へ売っている人はいました。祖母や母も皮むきの賃仕事(アルバイト)に動員されていました。
父は復員後しばらくは山に入って木を切る木こりのような仕事に従事していたそうです。その後西神野の八神で土建会社を始めた安田さんに土方として雇われて30年余働きました。
山小屋に泊まり込むほどの山男ではなかったと思います。
母の実家へ行っている時にこの電話がかかってきました。受話器を取って耳に当てると『・・・・・!』 びっくりして元の位置に架けて逃げ出しました。電話に出た初体験
です。 孫たちは当然のようにスマホを使うようになってきたのが何とも不思議です。
寒い夜はこれ。ストーブもファンヒーターもありませんから、これが頼りでした。
60年前までの結婚式の様子。叔父や叔母はこんな門出だったのですね。
『お肴これに~!』 この役は人気でした。
野口英世博士を思わせる囲炉裏端。
農耕馬は大事な家族だった。
わが家では現在の台所が農耕牛の住まいでした。
旧越美南線の終着駅・北濃です。
なんで雪景色が懐かしいのか、本人にも分からないけど、雪景色。
館員の女性が私たち二人のためにだけ点けてくれた下さった6、7基の大型ストーブでもやっぱり寒くて2時間弱が限界でした。
それでももう一つ感動的な展示がありましたので後日書き留めます。
次の議会の一般質問の取材もちょっぴりできました。企業秘密ですので、、秘密です。