関市議会議員 川合治義つれづれのブログpart3

毎日更新中!地域の身近な議員として市民の思いと声なき声を市政に直言します。議員活動報告や日常生活等を記しています。TIKTOKやFacebook、Twitter等のSNSでも随時情報を更新。関市学校規模適正化計画(案)や関市パブリックコメントにも言及。関市立富野小学校、関市立富野中学校の消滅の危機に富野地域最大の課題として取組みます。是非パブリックコメントで関市民の皆さんの意見を市政に届けましょう。

富野地区戦没者追悼式

強風に負けず追悼の辞を捧げました

三段落のうちの最後の段落です。

 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、国策を誤って310万の日本人と3000万余のアジアの無辜の命が奪われた深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、この式に参列した富野の遺族らが心から追悼の意を表するとともに、郷土の一層の発展と世界の平和、我が国の平和を誓います。

                  令和6年3月9日  関市議会議員 川合治義

忠魂碑の魂の字の鬼に角がありません。

 少なくとも55年前には、富野中学校の更衣室と農具置き場の脇に立っていた忠魂碑に、今日のような感慨を抱いたことはありませんでした。

170人前後の外地で命を失った青年の名が刻まれていました。

河合有二とは、戦死者に対する気持ちが疑われる。川合有二です。

父の兄で、志願して海軍に入り重巡洋艦鈴屋とともにフィリピン沖に沈んだ、母の婚約者だったそうです。

出がけに仰ぐと、この冬最後の雪が大仏の稜線に残っていました。

今日から今年イネを植え付ける田んぼの田打ちを始めました。

冷えて雪が積もるということの無かったこの冬、いつ天地返しをしようかと思っているうちにズルズルと春になってしまいました。

昨シーズンの作業で折れたり、落ちたり、緩んでしまった耕起爪を付け替えました。

 私が機械科部の責任者になってからアワーメーターがちょうど1000時間となりました。午後1時から『今年も頼むよ!』と乗り込んで4時まで休みなしで3枚の田んぼ、合計6反弱を耕起しました。久しぶりでけっこう疲れました。

鹿どもの蹄の跡が縦横無尽に残る田んぼを、1時間で2反のペースでゆっくりと耕起。

正面の川向こうの広い畑は現在はほんの一部しか使われず、草を刈るだけの、イノシシとシカの運動場になってしまいました。

3月15日で狩猟は終了です。イノシシをもう1頭罠にかけたいと知恵を絞っているのですが、見つかってしまい、ワイヤは跳ねているのにイノシシはいない日々が続きます。写真左下隅の木に巻き付けたワイヤが見えます。表面が白い石の脇の獣道に罠が埋めてあります。その罠の踏み板をイノシシが通るとバネでワイヤが跳ね上がって脚をククリます。鼻の利くイノシシはそれを嗅ぎつけて仕掛けの端を踏んでからかうのです。

この赤土の庇の内側にイノシシがこすった跡がくっきりと残っています。テリトリーを示すために体中に赤土を付けて歩き回り、要所要所で木の幹に擦り付けてマーキングをします。夕べも来ているのですが、ワナの脇を通っていました。

こんな急斜面でも簡単に上り下りしています。明日こそここに掛かったイノシシを見て、ホンモノ猟師さんに電話することになるでしょう、か?